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どうすれば人は笑って、喜んでくれるのか
■面白いやつが1番偉かった
1986年兵庫県尼崎市で生まれ、育ちました。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、漫才師ダウンタウンの故郷です。
カッコイイとか、頭が良いとか、足が速いとか、そんな男よりも「おもしろい男」が1番偉いという土地柄です。
カッコイイことも、頭が良いことも、足が速いことも無理だと悟った子ども頃の私は、小学校5年生の時にはクラスの友人とコントグループを組んで学級会でネタを披露していました。
初めてカメラを触ったのはその頃で、親戚のおばちゃんから買ってもらった小さいフィルムカメラです。ひたすらに、変な写真や友人や家族が笑った写真を撮っていたことを覚えています。
高校時代も勉強も全然しなかったです。
毎日、黒板の右下に書かれる日直の名前の横に、その人のキャッチコピーを書いたりして遊んでました。事業中にくしゃみをして、椅子から転げ落ちるというギャグは鉄板でした。
とにかく隣の人を笑わせることばっかり考えてました。
大阪の大学に進学した私は、学園祭の実行員会に所属します。
相変わらず、1限目の講義はほとんど欠席か遅刻。毎日、面白いと思うことをやって遊んでいて、同級生と漫才コンビを組んでいました。
特にプロを目指していたわけではありませんでしたが、学園祭実行員界のイベントに出演したり、プロも出ていた漫才コンテストの舞台にも立ちました。
幼少の頃から、テレビを点けたら「吉本新喜劇」。
友人と話せば、ノリツッコミにボケに笑わせ合う日々を過ごしていました。
すぐそばに「笑い」というものがありました。
実は小学生になる前は、非常に引っ込み思案でいじめられていたくらいだったのに、この「笑い」というエッセンスで一歩前に出ることができる性格になったと思います。
■好奇心が高じて47都道府県制覇
実家は決して裕福な家庭ではありませんでした。
それでも父親は、車で行ける範囲でキャンプや海水浴によく連れて行ってくれました。
祖父は元回天の乗組員で元警察官。ナイフの使い方、火の起こし方、釣りの仕方など1人で生きていけるような力を教わりました。
このお陰で、旅とキャンプが好きな子どもでした。
祖父も父親もすでに他界していますが、自分の今の能力の礎になっていることは間違いないので感謝していますね。
そんなこともあって、私は自分で少しはお金が自由に使えるようになってから、好奇心の赴くまま全国47都道府県制覇しています。ひとり旅も含めていろんな島にも行きました。
淡路島、小豆島、直島、壱岐島、伊豆大島、神津島、小笠原諸島、屋久島、与論島、石垣島、宮古島・・・などなど。
まだまだ、行きたい場所はたくさんあるので、旅はまだまだ続けていきたいですね。
もちろん、行った中で1番好きになったのが石垣島です。
■社会人になってから、しごかれた力
大学を卒業した後、大阪の会社で営業として入社します。
その時の会社の人情深い上司や先輩方から、社会人の基礎や仕事の心構えを叩き込まれました。
今思うと本当にアホな失敗や独りよがりな仕事に、かばってくれたりフォローしてくれた先輩や上司に出会えていたことに感謝しています。
大阪に配属されて仕事をしていた私は、主戦場である東京で仕事をしたいと思っていました。
毎日サービス残業して、週に1本は企画書を作って東京の部署の人に送っていました。周りの先輩にも東京で仕事をしたいことを熱心に話していたことを覚えています。
その甲斐と先輩たちの助言もあって、24歳で東京に上京し、憧れていた東京の第一線で仕事をさせてもらいました。
大手飲料メーカーSのセールスプロモーションやパッケージデザインの仕事で、今で言うブラック的にタクシーで家に帰る日々かなり忙しかったですが、すごくやりがいがありました。
海外出張をしていたこともいい経験です。
その後、ふるさと納税関連のITベンチャー企業に転職しました。
各地方自治体に出張したりして、各地方を盛り上げる仕事です。
普段の旅行なら絶対に行かないであろう自治体に行って素晴らしさを感じたり、自治体の公務員の方がを一緒に仕事をさせていただいたことも、大都市圏でしか働いていなかった私には、本当にいい経験でした。
■石垣島との出会いと移住してから
東京に引っ越した頃、石垣島に初めて行きました。
石垣島の自然や人の温かさに衝撃を受けました。
初めて行ったのに、「帰ってきた感」があったのを覚えています。
よく、「石垣島って何がいいの?」と聞かれることが多いのですが、私はこう答えています。
「肩肘張らずに自然体でいることが許される島」です。
都会で暮らしているとどうしても見栄を張ったり、お洒落して頑張ったり、自分をより良く見せないといけない場面があると思います。
石垣島はそれらをしなくても許してくれる、そんな空気感があります。
そんな石垣島にハマった私は、毎年2〜3回通うようになります。時には2週間以上滞在しました。波照間島という島に滞在した時には、島のおじいと仲良くなって家でご飯食べたり泊まったりさてもらっていました。
行けば行くほど、知らないことが増えて、魅力が増していく。石垣島を含む八重山諸島はそんな不思議な島々なのです。
28歳の頃、学生時代から付き合っていた今の奥さんと結婚し、石垣島で結婚式も挙げました。
大人になってしまうと家族で旅行もしなくなっていたので、もう一度家族で旅行をしたくて、家族と親戚を石垣島に呼んで結婚式をしようと考えたからです。
そのころは、ウェディングの仕事は何一つ関わっていなかったので色々苦労しました。
今ほど、会社やフォトグラファーはいなくて、やりたいことをできなくて、自分たちで大半を準備してやりました。それが今の仕事にも生きていると思います。
そして、2017年に石垣島に移住しました。
知り合った友人に石垣島のフォトウェディング会社の経営を頼まれたことがキッカケでした。
石垣島にもう何十回も行っていたので、移住を考えていたタイミングでもあり、即決でした。
フォトグラファーとして本格的に仕事を始めたのもここからです。
当初は来月の支払いにも困って・・・本当にゼロからスタートしました。
ただフォトウェディングブームもあって、すぐにたくさんのカップルに来てもらえるようになりました。ほぼ毎日、多い時には1日3組撮影することも。
これまで何組撮影したか数を数えていなかったので正確には覚えていないんですが・・・年間250組は撮影していたと思うので、1000組くらいですかね。
順調に宮古島・沖縄本島にもお店を出し、それぞれの場所でもたくさんのカップルを撮影させてもらいました。2021年に会社の異動で沖縄本島に引っ越し。同年に東京にもお店を出店。
石垣島だけでも年間600組のカップルが撮影に来てくれるようになりました。
そして2022年春。どうしても石垣島に戻りたくて、会社を退職。石垣島に戻ってきました。
新しく会社も立ち上げて、昔からお世話になっている島の人たちと、新しい仲間と共に、石垣島で再出発しました。
石垣島内、島外関わらず本当にたくさんの人たちに助けられています。感謝しています。
■メッセージ
石垣島の魅力は、「肩肘張らずに自然体が許される島」。自分らしくいていい島。
この世の中、自分らしくいること自体が難しい時代。
各場所で頑張っている皆さんの肩肘を置ける場所に石垣島はなれるはず。
私たちはフォトウェディングで「さよなら」するつもりはありません。
1クセも2クセもある、でも心優しい島の「しまんちゅ」と繋がって欲しい。
心の洗濯を石垣島でして、また頑張れる充電をしに石垣島に遊び来てください!
私もそうでした!